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支援学校で気づいた、本当の「多様性」のかたち
「多様性」って、結局また人を分類していない?
「多様性を認めよう」
最近、そんな言葉を本当によく耳にする。
性別、性的指向、国籍、文化、障がい、価値観――。
「人はみんな違う。それぞれを尊重しよう」
それは、とても大切なことだと思う。
でも、障がいのある子どもを育てている私は、時々こんなことを思う。
「多様性、多様性と言いながら、私たちは結局また人を分類していない?」
- LGBTQというカテゴリー。
- 障がい者というカテゴリー。
- 外国人というカテゴリー。
もちろん、社会の中で必要な分類もある。
制度や支援を考えるためには、カテゴリーが必要なこともある。
でも、そのカテゴリーの中にいる人たちが、みんな同じなわけではない。
そして私は、そのことを一番強く感じる場所がある。
それが、支援学校だ。
支援学校にいる子どもたちは、みんな違う
私の子どもが通う支援学校には、本当にいろいろな子どもたちがいる。
- 話せる子。話せない子。
- 歩ける子。歩けない子。
- 自分の気持ちを言葉で伝えられる子。意思を伝えることが難しい子。
- 手を自由に動かせる子。手を使うことが難しい子。
そして、抱えている障がいも一人ひとり違う。
「障がい児」という一つの言葉では、とてもくくれないくらい違う。
それなのに、そこにいる子どもたちは、お互いの違いをいちいち問題にしない。
「歩けないから仲間に入れない」
「話せないから一緒にできない」
そんなことにはならない。
「できないなら、どうしたらできる?」が当たり前
例えば、運動会でモルックをするとする。
歩ける子は、自分で投げる。
じゃあ、歩けない子は?
車椅子に乗ったまま投げる。
では、モルックそのものを手でつかむことが難しい子は?
「できません」で終わらない。
車椅子にスロープをつけて、転がして投げる。
同じ競技だけど、やり方は違う。
それでいい。
むしろ、それが当たり前。
先生たちは、
「みんな同じようにやりましょう」
ではなく、
「この子はどうしたら参加できる?」
を考えてくれる。
私は、この光景を見るたびに思う。
これが本当の「多様性」なんじゃないかって。
「違いを認める」だけじゃない
多様性というと、
「違いを認めましょう」
というところで終わってしまうことがある。
でも、支援学校で私が見ているのは、その先だ。
「違うね」で終わらない。
「じゃあ、どうしたら一緒にできる?」
になる。
- 歩けないなら、車椅子がある。
- 握れないなら、スロープを使う。
- 話せないなら、別の方法で伝える。
- 意思疎通が難しくても、ちゃんと声をかける。
できないことがあるなら、その子に合わせて方法を変える。
人を変えるのではなく、環境や方法を変える。
私は、これこそが多様性なんじゃないかと思っている。
「またねぇー」と声をかけてくれるお兄ちゃん
我が子は、話すことができない。
歩くこともできない。
意思疎通も難しい。
そんな我が子に、リハビリで会う少し年上のお兄ちゃんが、
「またねぇー」
と声をかけてくれる。
返事はしない。
言葉も返さない。
それでも、そのお兄ちゃんは我が子の手を握って、顔を見て、声をかけてくれる。
私は、その光景を見ると本当に嬉しくなる。
「返事ができないから話しかけても意味がない」
なんて、彼は思っていない。
そこにいる一人の人に、
「またね」
と伝えている。
我が子がどう感じているのか、正確なことは本人にしか分からない。
でも私は、きっと嬉しいんじゃないかなと思っている。
表情には出なくても。
言葉にはならなくても。
誰かが自分に向けてくれた優しさは、きっと何かの形で届いている。
本当の多様性は、「分類」の外側にあるのかもしれない
私たちは、人を理解するためにカテゴリーを使う。
それ自体が悪いわけではない。
でも、人間はカテゴリーだけでは説明できない。
- 「障がい者」という言葉の中にも、たくさんの違いがある。
- 「LGBTQ」という言葉の中にも、たくさんの違いがある。
- 「外国人」という言葉の中にも、一人ひとり違う人がいる。
結局、どんなカテゴリーを作っても、その中にいる人は一人ひとり違う。
だから私は、「多様性」という言葉を聞くたびに、最近こう思う。
本当の多様性って、カテゴリーを増やすことじゃなくて、カテゴリーでは見えない一人ひとりの違いを見ることなんじゃないか。
そして私が毎日のように見ている支援学校には、それが自然に存在している。
- 話せる子もいる。話せない子もいる。
- 歩ける子もいる。歩けない子もいる。
- できることも、できないことも、みんな違う。
それでも一緒にいる。
それでも一緒に楽しむ。
それでも誰かが誰かに「またね」と声をかける。
私は、そんな支援学校の中にある光景こそ、
「多様性」という言葉の、本当の姿なんじゃないかなと思っている。


