📂 健康・からだ
「幸せホルモンの90%は腸で作られる」は本当?
「幸せホルモン」と呼ばれることのある、セロトニン。気分や感情との関係で名前を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
そして、こんな話を聞いたことはありませんか?
「セロトニンの90%は腸で作られている」「だから腸内環境を整えれば、幸せになれる」
なんだか、とても分かりやすい話です。でも、本当にそんなに単純なのでしょうか。
実は、「セロトニンの大部分が腸に存在する」という話には科学的な根拠があります。一方で、「腸で作られたセロトニンが脳に届いて幸せな気分にしてくれる」という理解は正確ではありません。
それでも近年、「腸と心は想像以上につながっているのではないか」という研究が世界中で進んでいます。そして、その研究はついに、「他人の腸内細菌を移植すると、心にも変化が起こるのか?」という、かなり驚くところまで来ています。
本当にセロトニンの90%以上は腸にある
これは、かなり本当です。
研究によって表現には多少違いがありますが、体内のセロトニンのおよそ90〜95%は消化管に存在するとされています。その多くに関わっているのが、腸の粘膜に存在する「腸クロム親和性細胞(enterochromaffin cells)」です。
セロトニンというと、「気分を安定させる脳内物質」というイメージが強いかもしれません。しかし、腸のセロトニンには、
- 腸の動き
- 分泌
- 内臓感覚
- 血小板などを介した末梢での働き
など、脳とは異なる重要な役割があります。
つまり、「人間のセロトニンの大部分は腸に関係している」という話自体は、都市伝説ではありません。
じゃあ、腸でセロトニンを増やせば幸せになる?
ここで、大きな落とし穴があります。
腸で作られたセロトニンと、脳で働くセロトニンは、基本的に別々のシステムとして考える必要があります。なぜなら、セロトニンそのものは血液脳関門(blood-brain barrier)を自由に通過できないからです。
脳には、血液中の物質が何でも自由に入らないようにする「関所」のような仕組みがあります。腸で作られたセロトニンが血液に乗って、
腸 → 血液 → 脳 → 「幸せ!」
となっているわけではありません。脳内で使われるセロトニンは、主に脳内で合成されます。
したがって、
「セロトニンの90%以上は腸にある」→「腸のセロトニンを増やす」→「脳内セロトニンが増える」→「幸せになる」
という説明は、かなり飛躍しています。
じゃあ腸と心は関係ないの?
ところが、話はここから面白くなります。
「腸のセロトニンが直接脳に行かない」からといって、「腸と脳は無関係」ということにはなりません。むしろ現在では、腸と脳はさまざまな経路を使って双方向に情報交換していると考えられています。これが、「腸脳相関(gut-brain axis)」です。
例えば、
- 迷走神経などの神経経路
- 免疫系
- ホルモン
- 腸内細菌が作る代謝物
- トリプトファン代謝
- 腸管で作られるさまざまなシグナル
などが、腸と脳のコミュニケーションに関わると考えられています。
つまり腸と脳は、「セロトニンを直接送り届ける一本のパイプ」でつながっているのではありません。もっと複雑なネットワークで、お互いに影響し合っているのです。
そして登場する「腸内細菌」
私たちの腸の中には、膨大な数の微生物が暮らしています。いわゆる「腸内細菌」です。
近年、この腸内細菌が腸脳相関の重要な登場人物として研究されています。実際、腸内細菌が作る代謝物などが、腸のセロトニン産生や免疫系、神経系に影響する可能性が示されています。
ここで、一つ面白い疑問が生まれます。もし、「腸内細菌の状態が脳や心にも影響する」のであれば……腸内細菌を丸ごと変えたら、人間の気分まで変わるのでしょうか。
他人の「便」を移植すると、心まで変わる?
ここから少し驚く話になります。
「便微生物移植」という医療技術があります。英語では、Fecal Microbiota Transplantation。略して、「FMT」と呼ばれます。
簡単に説明すると、健康なドナーの便から得られた腸内微生物を、患者の腸管へ移す方法です。
「他人の便を入れるの?」と驚くかもしれません。ただし、実際の医療ではドナーのスクリーニングや病原体検査などが重要で、単純に便をそのまま入れるような話ではありません。
そしてFMTは現在、特定の腸疾患で実際に臨床利用されています。さらに研究者たちは、「腸内細菌を変えることで、精神症状にも変化が起こるのではないか?」という研究まで始めています。
2026年、かなり興味深い研究結果が出ている
2026年にJournal of Affective Disordersで報告されたシステマティックレビュー・メタ解析では、FMTと抑うつ・不安症状との関係を調べた臨床研究がまとめられました。
対象となったのはランダム化比較試験や前向き研究などで、合計532人。解析では、FMTによって抑うつ症状や不安症状が改善する可能性が示されました。
これはかなり興味深い結果です。しかし、「便移植でうつ病が治ることが証明された」という意味ではありません。研究数はまだ少なく、対象となる疾患、FMTの方法、投与経路、評価方法などにも違いがあります。研究者ら自身も、より大規模で質の高いランダム化比較試験が必要だとしています。
つまり現時点では、「腸内細菌を変えることで心にも影響を与えられる可能性が見えてきた」くらいに考えるのが妥当です。
それでも、腸の中にいる微生物を変えることで、人間の気分や行動まで変わる可能性を研究している。そう考えると、なかなか不思議な話です。
では「腸を整えれば幸せになる」は間違い?
ここまでを整理してみましょう。
- 「セロトニンの大部分は腸に関係している」→ これはおおむね正しい。
- 「腸で作ったセロトニンが脳に行って幸せになる」→ これは正確ではありません。
- 「腸と脳は関係している」→ これは現在かなり研究されている。
- 「腸内細菌を変えれば、誰でも気分が良くなる」→ そこまではまだ分からない。
つまり、「腸を整えれば幸せになれる」という言葉は少し言い過ぎです。
でも、「腸の状態は、心身の健康を支える一つの要素かもしれない」というところまでは、科学的にもかなり面白いところまで来ています。
じゃあ私たちは何をすればいい?
ここで、「じゃあFMTをやってみよう!」とはなりません。FMTは医療として適切な管理下で行われるものであり、自分で試すようなものではありません。
私たちが普段の生活で考えたいのは、もっと地味なことです。例えば、
- 野菜
- 果物
- 豆類
- 全粒穀物
- ナッツ類
- 発酵食品
などを含め、偏りすぎない多様な食事をとること。特に食物繊維は、腸内細菌によって発酵され、短鎖脂肪酸などの代謝物の材料になります。
一方で、「このヨーグルトを食べれば幸せになる」「この菌を飲めばセロトニンが増える」というほど単純ではありません。腸内細菌叢は人によって異なります。ある一種類の菌や食品だけで「理想の腸内環境」を作れるわけではないのです。
「腸活」を心の治療の代わりにはしない
ここも大切です。
腸脳相関の研究が進んでいるからといって、うつ病や不安症を、「腸内環境が悪いから」と決めつけることはできません。精神疾患には、
- 遺伝
- 脳機能
- 心理社会的要因
- ストレス
- 身体疾患
- 生活環境
など、多くの要因が複雑に関係します。腸内細菌は、その中で研究されている要素の一つです。
したがって、「落ち込んでいるなら腸活すればいい」という話ではありません。必要な場合には、適切な医療や心理的支援を受けることが大切です。
でも、「お腹」と「心」は思っていたより近いのかもしれない
緊張すると、お腹が痛くなる。大事な日の朝に、トイレへ行きたくなる。強いストレスが続くと、食欲や便通が変わる。
私たちは昔から、「心が腸に影響する」ことを経験的に知っています。しかし現在の研究が面白いのは、その逆、「腸から脳へ」という方向にも注目していることです。
脳が腸に命令するだけではない。腸もまた、神経、免疫、ホルモン、代謝物、そして腸内細菌などを通して、身体全体と情報交換している。
そう考えると、腸は単なる「食べ物を消化する管」ではないことが分かります。
最後に
「幸せホルモンの90%は腸で作られる」
この言葉。半分は本当で、半分は誤解を生みやすい表現です。
確かに、体内のセロトニンの大部分は消化管にあります。でも、そのセロトニンがそのまま脳に届いて、私たちを幸せにしているわけではありません。
それでも、腸と脳は無関係ではない。むしろ腸内細菌まで含めた「腸―脳」のネットワークについて、今まさに研究が進んでいます。そして研究者たちは、「腸内細菌を変えたら、心まで変わるのか?」というところまで調べ始めています。
腸を整えれば、必ず幸せになれるわけではありません。でも、毎日の食事や生活を通して腸の健康を大切にすることは、身体だけではなく、私たちの心身全体を考えることなのかもしれません。
あなたのお腹の中にいる小さな住人たちは、思っている以上に、あなたと深く関わっているのかもしれません。
参考文献・出典
- Gershon MD, Tack J. The serotonin signaling system: from basic understanding to drug development for functional GI disorders. Gastroenterology. 2007;132(1):397-414.
- Spohn SN, Mawe GM. Non-conventional features of peripheral serotonin signalling — the gut and beyond. Nature Reviews Gastroenterology & Hepatology. 2017;14:412-420.
- Mawe GM, Hoffman JM. Serotonin signalling in the gut—functions, dysfunctions and therapeutic targets. Nature Reviews Gastroenterology & Hepatology. 2013;10:473-486.
- Li B, Fu J, Wang S, et al. Efficacy and safety of fecal microbiota transplantation on depressive and anxiety symptoms: A systematic review and meta-analysis. Journal of Affective Disorders. 2026;406:121717. doi:10.1016/j.jad.2026.121717.
- Fu J, Zhang Y, Gao J, et al. Efficacy effects of fecal microbiota transplantation on depressive symptoms: a meta-analysis based on randomized controlled trials. Frontiers in Psychiatry. Published January 29, 2026.
※本記事は腸脳相関に関する研究を一般向けに解説したものであり、特定の食品、サプリメント、プロバイオティクス、便微生物移植などによる精神疾患の治療を推奨するものではありません。
✍️ この記事はTOM さんの寄稿をもとに構成しました。(サイト → enishi-note.site)
画像: “IBM and MIT Help Scientists Study Connection Between Bacteria and Autoimmune Diseases” by IBM Research is licensed under CC BY-ND 2.0. To view a copy of this license, visit https://creativecommons.org/licenses/by-nd/2.0/.(Openverse)


