📂 健康・からだ
健康に値札はない、けれど
あなたは「健康」に、いくら払えますか?
突然ですが、質問です。
あなたは今の健康を維持するために、毎月いくらまでなら払えますか?
- 1,000円?
- 5,000円?
- 1万円?
それとも、「今のところ元気だし、できればお金はかけたくない」でしょうか。
では、質問を変えます。
もし明日、歩けなくなったら?
朝起きたら、自分の足で歩くことができなくなっていた。治療すれば、元のように歩ける可能性がある。その治療に、10万円かかるとしたら?払いますか?
おそらく、多くの人が真剣に考えるでしょう。
では、50万円なら?100万円なら?
もちろん、答えは人によって違います。経済状況によっても大きく変わります。
では、もう一つ。
もし「健康だった昨日」に戻れる薬があったら?
大きな病気になったとします。それまで普通にできていた、
- 歩く。
- 食べる。
- 眠る。
- 働く。
- 旅行する。
- 友人と出かける。
- 家族と過ごす。
そんなことが、以前のようにはできなくなりました。
でも、「病気になる前の身体に戻れる薬」がある。あなたはいくらまで払いますか?
10万円でしょうか。100万円でしょうか。もっとでしょうか。
もちろん、そんな万能薬は存在しません。
ここで考えてほしいのは、金額そのものではありません。
健康だったときには、ほとんど0円だったものが、失った瞬間、とてつもなく価値のあるものに変わることがある。ということです。
「普通に歩ける」は、いくら?
- 朝起きる。
- トイレへ行く。
- 顔を洗う。
- 服を着る。
- 階段を降りる。
- 駅まで歩く。
- 仕事へ行く。
- スーパーへ寄る。
- お風呂に入る。
- ベッドへ行く。
健康なときには、こんなことに値段をつける人はいません。
「今日は自分でトイレへ行けた。5,000円分得した!」なんて普通は考えません。できて当然だからです。
でも、一度できなくなると、その「当然」が突然、特別なものになります。
健康は「あるとき」には価値が見えにくい
ここに健康の不思議があります。
スマートフォンなら値段が書いてあります。車にも値段があります。家にも値段があります。旅行にも値段があります。
でも、
- 「痛みなく歩ける」
- 「好きなものを食べられる」
- 「ぐっすり眠れる」
- 「自分でトイレへ行ける」
- 「会いたい人に会いに行ける」
こうしたものには、値札がありません。
だから、持っている間は価値を意識しにくい。
健康は、失ったときに初めて値段が見えてくる、少し変わった財産なのかもしれません。
病気で失うのは「医療費」だけではない
病気になると、病院代や薬代がかかります。でも、本当に失うものはそれだけでしょうか。
- 仕事を休む。
- 収入が減る。
- 家族が仕事を休んで付き添う。
- 旅行をキャンセルする。
- 趣味ができなくなる。
- 家事ができなくなる。
- 移動に誰かの助けが必要になる。
そして、「やりたいことができる時間」そのものが減る場合もあります。
WHOは、医療費の自己負担によって生活必需品などに使えるお金が圧迫される状態を「financial hardship(経済的困難)」として追跡しています。
つまり、病気のコストとは、「病院でいくら払ったか」だけでは測れないのです。
健康の価値を、お金だけで測ることはできない
医学や医療経済学では、「どれだけ長く生きられるか」だけではなく、「どのような健康状態で生きられるか」も重要なものとして扱われています。
例えばQALY(質調整生存年)という考え方があります。
簡単に言えば、「寿命」と「生活の質」の両方を考えて、医療の価値を評価しよう、というものです。
なぜそんな考え方が必要なのでしょう。
人間にとって大切なのは、単純に「生きている時間の長さ」だけではないからです。
- 自分で歩ける。
- 食事を楽しめる。
- 痛みに邪魔されず眠れる。
- 好きな場所へ行ける。
- 大切な人と過ごせる。
そうした「どう生きられるか」もまた、健康の大切な一部分です。
では、健康のために何をしていますか?
ここで最初の質問に戻ります。
あなたは、健康にいくら払えますか?
でも今度は、お金だけではなく、「時間」でも考えてみてください。
健康のために、1日30分なら使えますか?
- 散歩する。
- 少し身体を動かす。
- いつもより少し早く寝る。
- 健康診断を受ける。
- 歯科検診へ行く。
- 食事を少し見直す。
- タバコを一本減らす。
- 休むべき日に、ちゃんと休む。
どれも派手ではありません。そして、今日やったからといって、明日突然人生が変わるわけでもありません。だから後回しにされやすい。
でも、もし未来の自分が、現在の自分に会えるとしたら。何と言うでしょう。
未来の自分から、今の自分へ
想像してみてください。
20年後のあなたが、今のあなたの前に座っています。
もし元気だったら、「ありがとう」と言うかもしれません。
- あのとき歩いてくれてありがとう。
- 健診に行ってくれてありがとう。
- 無理しすぎないでくれてありがとう。
- 身体を大切にしてくれてありがとう。
逆に、「あの頃は健康だったのにな」と思っている未来もあるかもしれません。
もちろん、どれだけ健康的に暮らしても病気になることはあります。病気になった人が、「努力が足りなかった」わけでもありません。健康は完全に自分でコントロールできるものではないからです。
だからこそ、できる範囲で大切にする。それくらいでいいのだと思います。
「健康のために生きる」必要はない
ここも大切です。
健康のために、好きなものを全部我慢する。毎日運動しなければと自分を追い込む。健康診断の数字ばかり気にする。
それでは、何のための健康なのか分からなくなってしまいます。
健康そのものが、人生の目的とは限りません。
- 旅行したい。
- 家族と遊びたい。
- 美味しいものを食べたい。
- 仕事をしたい。
- 趣味を続けたい。
- 好きな場所へ行きたい。
そのための「土台」の一つが健康です。
健康のために人生があるのではなく、自分の人生を生きるために、健康が役に立ってくれる。そんな関係でいいのかもしれません。
最後に、もう一度だけ聞きます
もし、「今の身体のまま20年間過ごせる権利」が売っていたら。あなたはいくら払いますか?
100万円?500万円?それ以上?
答えはありません。そもそも健康は、お金だけでは買えません。
だから最後は、質問を少しだけ変えて終わりたいと思います。
あなたは健康に、「いくら払えますか?」ではなく。
あなたは健康のために、「今日、何分使えますか?」
10分でも構いません。
- 少し歩く。
- 早く寝る。
- 身体を休める。
- ずっと気になっていた検診を予約する。
未来の自分のために、今日できることを一つだけ。
健康には値札がありません。でも、値札がないものほど、失ってからその価値に気づくのかもしれません。
✍️ この記事はTOM さんの寄稿をもとに構成しました。(サイト → enishi-note.site)


